12時の舌禍神経は金姦色に染まる  

ハロヲタのための24のガヴォット第12番ニ長調 舌下神経12時

昔から常識のウソや間違った俗説はたくさんありましたが
情報過多の現在はずいぶんいいかげんなことを言ってる人がいます。
ニ長調の音楽を紹介しながら健康のために死なない方法を考えてみましょう。

各駅停車(猫)  1974年


1970年代前半は名曲の宝庫なので何を紹介するか迷いましたが
この時代を象徴する曲として 猫 の6枚目のシングル 各駅停車 です。

ザ・リガニーズ の 常富 内山 に 田口 石山 大久保 などが加わって
よしだたくろう のバックバンドをやってました。
メンバーが早稲田や慶応の学生だったため
吉田拓郎がステージで 広島商大が早稲田慶応を支配している と言ってました。
雪(拓郎のカバー) とか 地下鉄に乗って など 初期は拓郎の曲も歌ってましたが
猫のオリジナル作品であるこの曲は個性が出ていて最高傑作の1つでしょう。

作詞は 喜多條忠、作曲はメンバーの石山 恵三 

フォークなんだけど演歌テイストが入っているところが独特で
このころから ニューミュージック という言葉が使われだしました。


この次のシングルも バラ色の切符 ですから
メンバーかスタッフに鉄ヲタでもいたんでしょうか

 

 

 

さて 1971年~1974年 は 16歳~20歳 という

感受性の最も豊かな時期なせいか

いろんな曲からいろんな影響を受けました。

クラシック 洋楽 フォーク 演歌 

それぞれのジャンルに忘れられない曲がたくさんありますが

 

遠い世界に(五つの赤い風船

当時 国歌 と言われていました。

キャンプファイヤーなどでギターを弾きながら大勢で歌いました。

 

また逢う日まで(尾崎紀世彦) 1971年

1971年のレコード大賞

もとはズーニーヴーの曲らしい

 

静(よしだたくろう

おんすてーじ第2集 に収録されていた

拓郎には珍しくメロディアスで美しい曲

後に 花酔曲 というタイトルに変えて発売されたけど

オリジナルには及ばない

 

帰れない二人(井上陽水)1972年

井上陽水が忌野清志朗と一緒に作った曲

3枚目のアルバム”氷の世界”に収録されていた。

なぜか21世紀になってから中澤裕子がカバーしてた

 

喜びの世界(スリードッグナイト) 1970年

 

当時かなりの大ヒットだった

その後もいろんなとこで使われてる。

 

どうしてこんなに悲しいんだろう(よしだたくろう) 1971年

 

いろんなバージョンがあるみたいですが

1971年にエレックから出たアルバム 人間なんて の

B面1曲目に収録されているバージョンがいい

 

おろかなるひとりごと という曲も

当時の楽譜はニ長調だったはず。

 

他にも  恋の歌  とか いっぱいあったはず

 

 

なごり雪(かぐや姫) 1974年

 4枚目のアルバム 三階建の詩 に収録されていたもので

これがオリジナルでニ長調

その後イルカがヘ長調でカバーしてヒット

いろんな人にカバーされてますが

市井紗耶香変ト長調でカバー

松浦亜弥は変イ長調でカバー

 

まだまだありそうですが 

思い出したらまた加えます。